肥満旅行記

中国旅行記5(30):11月5日(1)(by 旅人のくまさんさん)

肥満
<2004年11月5日(金)>

 第1陣からご一緒だったMyちゃんの帰国日です。10時30分のフライトなので、2時間前の8時半には上海空港へ着いておく必要があります。それから逆算すると、7時半頃には出発しなければなりません。

<朝のお別れ、朝食>
 昨日のOgさんとEnちゃんの会話を漏れ聞いて仕舞いました。翌朝早くMyちゃんが帰国するので、Ogさんが早起きして朝食を作られるといったことでした。
 その日のメモでは、7:00起床・洗顔、7:30お見送りとありました。旅行中、ほとんどメモは取りませんが、時刻だけは記憶しようがありませんので、時々メモしています。着替える時間がありませんでしたから、失礼ながら、パジャマ姿でお別れしました。
 空港まではEnちゃんが同行されました。お父さんの専用車と運転手さんが迎えに来てくれたようです。私は、道路までは出ませんでしたから、確認はしていません。
 そんなことで、Ogさんが作ってくれた朝食をご馳走になりました。ご飯に味噌汁、ピクルス風の漬物と、思わない和定食を楽しみました。

<2回目の洗濯>
 Enちゃんの帰りは10時頃になりそうだとの見当から、朝の時間に余裕が出来ました。
 それで、昨日、うっかり洗濯忘れをした分を追加で洗濯することにしました。洗濯機の使い方は、もう完璧です。天候は少し怪しくなってきましたので、干し場を移動して、1階の駐車場にしました。これなら、乾きは遅いものの、外出中に雨が降っても大丈夫です。
Enちゃんは、Myちゃんの出国をお見送りして、10時頃に無事帰宅されました。洗濯も終わって、出発準備も完了していました。この時のメモには「10:30分、豫園に出発」とだけ記されていました。

<上海市の模型>
上海の大掛かりな模型展示場があると言うので、この展示場にやって来ました。豫園の前に見学したのか、その後だったかは、少し記憶があいまいですが、写真の順番から、こちらが先だったようです。ビルの名前は覚えていませんが、人民広場近くです。有料で入場した展示館の1階フロアー一杯に、大小さまざまな模型が展開していました。
 河、橋、ビル、道路などが忠実に縮小モデルになっていました。分かりやすい黄浦江を基準にそのモデルを観察すると、ある程度上海の主要な私設、地域が見えてきました。その中には既に見学を終えたものもありました。分かりやすい建物は東方明珠塔、大茂大厦などでした。豫園は少し分かりにくかったものの、黄浦江の西岸に近い位置で見当がつきました。
 泊めて貰っている君臨頤和花園は模型の範囲から少し離れているようで、確認できませんでした。模型の一番南の橋より、もう少し南の橋を西に渡った位置になるようでした。Enちゃんの実家のマンションは良く分かりました。その近くにある、昨日の最高実力者の隠居宅の公園も見当がつきました。
 模型がまだ完成していない河沿いの地域がありましたが、これは万博予定地でした。既に日本、ブラジル、韓国などの国旗が記され、展示場が確定していました。

<昼食のお店での出来事>
 昼食は豫園界隈のレストランにしました。ワンタン、焼きそば、小籠包み、チャーハンを1品づつ頼んで、分け合って食べました。焼きそばは油が分離して余り美味しくなく、小籠包だけは、出てくるまでにやたらと時間がかかってしまいました。総じて、余り印象の良くない昼食になりました。
 そんな中で、印象に残ることが2つありました。その1つは一人子政策の歪みたいな光景でした。両親、双方の祖父母の6名で無理やり食べさせられて超肥満になった男の子がいました。テーブルを軽く一回りしては、もう一度食べさせられていました。Ogさんに少し頭をよけていただいて、そのテーブルを写しました。ズームの方はピントがずれました。
 もう1つの光景は、子守のメイドさん付の食事風景でした。メイドさんはフィリピン辺りの中国にとっての外国の若い女性でした。相当の貧富の差が生じているようでした。

<再び豫園>
 食事の後、14時に集合することで自由行動の時間になりました。私は早速、豫園に入場し写真を撮りました。前回の見学のときは豫園周辺の写真でしたから、今回は中の庭園等の写真です。
3、40分で60枚ほどを撮って集合場所に集まりました。皆さんもほぼ用事を済まされたらしく、スターバックスでコーヒーを買って車に戻りました。因みにミディアムサイズのホットコーヒーは15元でした。日本円換算では200円弱ですから、外国製品は高めになるのでしょう。
 ところで、このとき撮った豫園の写真は、中国旅行記(1)「西安と上海を訪ねて」の改定版に使用する予定です。1997年の旅行ですから、7年ほど前になります。第1陣との見学の項目で、既に触れました。
 写真を撮りながら駆け足での豫園見学でしたが、さすがに名園の誉れ高く、どの角度で切り取っても絵になる風景でした。

<自由市場での買い物>
 第1陣と訪れたときは旅の初めでしたから、買い物は極力控えました。しかし、今回は買い物が目的で自由市場にやって来ました。皆さん達とのコンビで、実に楽しい、お値打ちな買い物をしました。紹介します。
 最初にOgさんのブーツです。確か680元の値札がついていました。最初は400元当たりから、なかなか値段が下がりませんでした。Ogさんが隣の店で別の品を探す素振りをして、結局200元まで値引きが出来ました。ミンクオイルを塗って愛用されています。
 1つの目安が1/3の値段でしょう。Taさんの靴も値引きに成功しました。私も店の電卓を探して、値引き交渉を応援しました。
 次は若ウサギの襟巻きです。定価が150元から180元といったところでした。日本円で2千円前後の品物です。これを最初は50元程に値切って喜んでいましたが、最終的には纏め買いで30元まで値切ってしまいました。1/5〜1/6の値段です。
 さすがにここまで値切ると、少しお店の人が可哀想になりました。日本円で400円以下でした。
 私の場合、平均価格40元で10本買い求めました。もう既にプレゼントしましたから、手元にはありません。Ktさんが50元で買い求めた首飾りが欲しくて、その店に案内してもらいました。Ktさんを前にして、直ぐに45元になりました。しかし、30元を提示したら、売らずに仕舞われてしまいました。この値段では儲けが出ないことが分かりました。
 実は豫園近くでは、玉の買い物をしました。最初の値段は1860元でしたが、1/10以下の150元に値切りました。5cmほどの象の置物ですが、鼠地に肩にかけて茶色が入ったところが気に入りました。紫檀の台付です。店の人がガラスに傷を付けて確認した品です。手に持った重たさから見て、まず本物でしょう。これは手元にあります。

<盲流の人達>
 「盲」の文字は日本では差別用語とされています。漢字を別の漢字で置き換えるのも難しいので、止む無くそのまま使います。
 「盲流」はそのまま熟語で使われているようです。正確な定義は知りませんが、「都市へ職を求めて地方から流入する定職、定宿を持たない労働力」といったところでしょうか。1600万人の上海市民に対し、上海での戸籍(住民権)を持たない人が400万人と言われています。日本で言えば、昔の「おのぼりさん」が似ているようですが、こちらは職業や宿泊拠点はありましたから、やはり少し違うようです。
 夕食の前に上海駅付近でこの盲流の集団を見かけました。車から降りて見学するわけにはいけませんので、車の中から写真を撮りました。気の毒なので、この小冊子への掲載は差し控えました。
 道路建設やビル建設現場での仕事が生活基盤のようです。こんな形での生活では、成功する人の確率は、宝籤に当たるように難しいと、お聞きした記憶があります。

<ディナーショーの夕食>
 孫濱先生と奥様の楊先生とは、31日に続いてもう一度食事をご一緒する機会がありました。お店の名前は「紅子鶏美食総■」でした。写真の略字から読み解きましたから、少し(大分?)違っているようです。
 2階の席を合わせると2千人とか、3千人収容とか言われる超大型店でした。注文は値段がついた見本でできました。驚いたのは、料理運びにローラースケートを履いた店員さんが飛び回っていました。
 ディナーショーは、この店員さん達と、正面舞台での舞踊がありました。ウイグル自治区出身の娘さん達とお聞きしました。
 上海蟹も出ましたが、私の食べ方が下手だったので、Ya先生が身の出し方を教えてくれました。改めて謝謝。美味しい料理と、ディナーショーの食事でしたが、結局、S.P.先生にみんなご馳走になって仕舞いました。S.P.先生にも改めて謝謝。


 旅の友見送る朝の寂しさよ無事の帰国を祈りし握手

 無事帰着便りの届く近き国上海巡る旅は続けり

【旅行時期】2004/10/30~2004/11/07
【エリア】上海
【テーマ】イベント・祭り
【投稿者】旅人のくまさん

イギリス旅行記(7):5月25日、おわりに(by 旅人のくまさんさん)

肥満
<1998年5月25日(月)>

 ヒースロー空港を24日の22時頃に飛び立ち、金浦空港へはほぼ予定通りの11時間弱で着きました。しかし、金浦空港では、機体整備のために30分ほど出発が遅れ、名古屋空港へは21時頃に到着しました。    
 時差ぼけにならないよう、名古屋へ到着する5、6時間前からは眠らないようにしていました。地下鉄駅からの帰りは、はいつもの店で12時頃まで飲みました。就寝したのは3時頃でしたから、その後、時差ぼけは全く感じませんでした。


  ヒースロー空港にて
 飛び立てる刻を待つ間にうたた寝て旅の想の断片過る

  機内にて
 窓閉て昼飛ぶ機内は静なり夜行列車に似たると思う

 通奏のエンジンの音消去りて不意に聞ゆる時も又あり


<おわりに>
 短い旅行ではありましたが、得るところは多くありました。この旅行記の締めくくりに、印象の深かったことをいくつか書き留めておきます。
 
<公園>
 最初の日のことです。飛行機が着陸態勢に入った時、空から見たロンドンの街並みは、木と芝生の緑が最も印象的でした。テームズ川を挟んだ右手にハイドパークも確認できました。
 このハイドパークを始め、いくつかの公園を散歩しました。5階建てくらいのビルの高さを凌ぐほどの大木と、よく手入れされた芝生、花壇に感心させられました。
 大木は街路樹を含め、プラタナスが圧倒的に多いようです。プラタナスを日本では「鈴掛けの木」とも呼びますが、この鈴が落ちて、どうやら小鳥の餌になっているようです。ガイドブックなどでは確認できませんでしたが、鳩やその他の小鳥たちが啄んでいるのは、この実が割れて飛び散った中に含まれているように思えました。
 公園には、それぞれの由縁が刻まれたレリーフや、銅像などを例外なく見掛けました。公園には必ず鉄製の柵があり、開園時間も決まっています。臙脂色の葉の色をした、日本では余り見掛けない木には「Copper Beech Tree」の名札が付けてありました。ハイドパークの中では「Paper Bark Maple」という茶色の皮が剥けたカエデ科の面白い木もありました。珍しい木だけに表示があるようです。

<セーフティゾーン>
 交差点などを渡る時、セーフティゾーンの必要性がよく分かりました。基本的には、半分ずつ渡るようです。半分渡ったところで、セーフティゾーンが身を守ってくれます。誰でも赤信号でも平気で渡っていますが、身を守るのは、自己責任の考えのようです。それぞれが自分の判断で渡っていますので、何とはなしに、他人の後をついて行くのは危険です。
 何回か経験しましたが、赤ちゃんを連れた人には、車の方が路を譲っているようでした。何度か、こういった人の後ろについて、安全に道路を渡りました。

<肥満>
 イギリスでは肥満の人をよく見かけました。それも中途半端ではなく、引退した小錦関クラスの肥満でした。オーストラリア旅行の時も肥満の人をよく見かけましたが、今回見聞したイギリスほどの肥満ではなかったと記憶しています。
 オーストラリアの場合、手にコカコーラのボトルを下げて、歩きながら飲んでいるのが普通の光景でした。それで、オーストラリア人の肥満は、糖分の摂りすぎではないかと、ひそかに観察していました。
 緯度の高いイギリスでは、乾燥しやすいオーストラリアのような水分の補給は要らないはずですから、飲み物だけのためではないようです。
 主な原因が食べ物だとすれば、ひたすらビーフやポテトを食べまくるのかも知れません。イギリスでは、食べ物には文化を認めない国民性があると聞きます。偏食が災いしているのなら、皮肉な結果となっているようです。原因を知るすべもありませんが、それにしても、圧倒される肥満でした。

<物価>
 一言で言って、イギリスの物価は高いと感じます。少なくとも安くはありません。例えば、地下鉄の初乗り料金が1ポンド30ペンス、約300円弱です。少なくとも今回の旅行で、地下鉄代は5千円を下りませんでした。最終日は一日無料券を使いましたが、有り難さが身に染みました。ビギナーズチケット様々でした。市外電車の料金も日本より高い。韓国であれば、金浦空港からソウル市内まで、1時間弱乗っても550ウォン、日本円で55円ほどです。値上がりしても1割程度にしか当たりません。
 消費税はチョコレートを除く食料品、書籍などを除き17%程だと聞きました。食料品でも高いと感じますので、消費税のせいばかりではなさそうです。高い人件費がベースにあるのかも知れません。

<刺青(いれずみ)> 
 白人の人がしている刺青を多く見掛けました。それも若い層に圧倒的に多かったようです。男女を問いませんでした。腕に彫ったものが多く、日本の刺青とは違って、余り絵柄はうまくありませんでした。余りじろじろ見るわけにはいけませんでしたが、一言で言えば、落書きクラスを多く見かけました。
 その分、怖い感じよりファッション性が高いと評価していいのでしょうか?余り沢山の刺青を見掛けたましので、終いには、威圧感は感じなくなりました。

<その他>
 歩きながらの女性のタバコ、「a」のエイとアイとの発音の差、立派でない地下鉄車両と物凄い深度、まずいイギリス料理、イタリアレストランとチャイナタウン等など他にも印象深いことが多くありました。これらのことは、別の機会に触れる事として、ここらで筆を擱きます。

<謝辞>
 5人組の皆さんをはじめ、同行の皆さんに心から感謝をいたします。殊に、5人組の中で英会話に弱い4人は、Sさんの語学力に頼ったところが、少なからずありました。この旅行中、同室で一番長い時間をお世話になったKoさん、長い長い空の旅を、隣席でご一緒させていただいたKmさん、Kdさん、幹事として一番の大役をこなされたFjさん、幹事サポートの皆さんには、重ねて厚くお礼申し上げます。本当に有難うございました。(本文 完)

【旅行時期】1998/05/20~1998/05/25
【エリア】ロンドン
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】旅人のくまさん

バリ島旅行記(4):5月26日(by 旅人のくまさんさん)

肥満
<1996年5月26日(日)>

 今日も素晴らしい天候に恵まれました。朝、顔を洗っていましたら、早速小鳥の囀りの挨拶を受けました。昨日、ジャワ島まで飛び、先にボロブドール遺跡を見学しましたので、今日はジャワ島の各地を見学することになりました。市場や、マーケット、博物館などです。

<今日もセンエン軍団>
 この日も物売りの集団には、いささか閉口させられました。小学生くらいの小さい子供から働き盛りの青年、年配のおばさんまで、どこへ行っても集団で迫ってきます。
 働き盛りの青年たちは、単車で我々のバスの後を追いかけ、何度も次の目的地に先回りされてしまいました。先方はこちらのスケジュールをお見通しのようで、こちらも、「また、先回りされてしまった」と、終いには、皆で笑ってしまいました。

<タナロット寺院の夕日>
 インターネット情報を参考にしながら、タナロット寺院とその夕日について紹介します。
 まず、タナロット寺院のことです。今回の旅行では寺院そのものの見学はしませんでした、遠くから眺めて、夕日の時を待ちました。
 タナロット寺院は、「チャタレイ夫人の恋人」の映画で有名になって以来、観光客が続々と訪れる名所になりました。最大の見所は、インド洋に沈む夕日に浮かぶ小島です。日が傾くと、寺が建つ岩の対面にあるテラス状のカフェは人でいっぱいになります。風が強い断崖側が当然のように人気スポットです。
 やがて、夕日が沈む頃になると、ちょっと残念なことが起きます。海の上は雲が発生しやすいためです。夕日が水平線に沈む光景に行き当たるのは、きわめて難しいのです。しかもこのバリ島の西側にはジャワ島があります。海を渡る湿気を含んだ風はジャワの山に突き当たり、まず間違いなく雲を発生させます。
実は、タナロットの夕日の本番はこれからです。
 夕日が地平線の上の雲の陰に沈む頃になると、それまで期待感に満ちていた人々が潮を引くように帰路につきます。実は本当はこれからの景色が最高です。地平線の下へ沈み込んだ夕日の朱が、雲を染め始めてしばらくの頃、背景は青さを増した空のままです。
 この雲と空の色が絶品なのです。さらに暗闇が迫る寸前に、空全体が真っ赤に染まります。早々と帰路についた人達は、残念ながらこれを見ることはありません。
 この日は恵まれました。水平線に少しだけ雲が出てきましたが、タナロットの夕日は実に素晴らしいものでした。


  バリ島のラマパレスホテルで
 我宿の槐に似たる庭の木に鳥の飛び来て遊ぶこの朝

 テラスから見下す椰子の葉に止る殿様バッタ今朝もその葉に

 南海の朝の小鳥の囀りは名知らぬ鳥と雀競いぬ

 鳴き声も仕草も変わらぬ雀等は飛び立つ間合いの少し短かし

 日本の支配せる日は三歳余オランダ支配に続く長き日

  バリ島で
 大方はイスラム教徒のこの国に肥満の人をついぞ見掛けず

 一つ木に白も朱色も橙も混じりて咲けりブーゲンビリア

 赤道を過ぎて少しのこの国の衛星アンテナ真上向きたる
                      
 手の届く位置に実りし椰子の実は庭木の如く垣内にあり

 温室で実りしバナナ見し時を思い起こして青き房見る

 椰子の木は屋根を凌ぎて林立す雷避くる生活の知恵

 椰子畑続きし彼方の小道より収穫袋乗せて人来る

 南国の香りは始め強かりし時経つうちに慣れて懐かし

 バリ島の犬は一人で餌探し首輪付けたる姿見掛けず

 首輪なきバリの犬等は吠えもせず午後の一刻うたた寝したり

 鋭角の面持て建てる石門は天の岩戸を開きし姿か

  タナロット寺院の夕日を見て
 低き雲沈むその時遮るも厳かにして一日終りぬ

【旅行時期】1996/05/24~1996/05/28
【エリア】バリ島
【テーマ】
【投稿者】旅人のくまさん

バリ島旅行記(1):はじめに(by 旅人のくまさんさん)

肥満
<はじめに>
 1996年5月24日(金)から28日(火)までの5日間、インドネシアのバリ島、ジャワ島へ観光旅行しました。昨年に続く技術開発本部大の希望者を募っての慰安会旅行でした。
 総勢18名のツアーは、自由行動日の行き先も、各自のオリジナリティがあって、幹事さんも現地ガイドさんも大変だったと同情しました。お世話をされた皆様と、楽しかった旅とにあらためて感謝です。気は早いですが、来年もこのような慰安旅行ができればと願っています。
 最初は俳句を作りながら各地を回るつもりでしたが、季語の問題で諦めました。なにしろ、赤道に近いこの国には、雨季と乾季の季節差があっても、微妙な季節の移いを感じる事はできません。このため、俳句を短歌に代えて旅行記を綴る事としました。
最初にインドネシア、バリ島の印象を、手短に集約しておきます。

<バリの犬>
 バリの犬には、一切の餌を与えないと聞きました。すべて自前で餌を探していて、ちゃんと自分の家の番犬を務めると言います。1軒に2、3匹は飼っているとも聞きました。首輪で繋がれていないため、どの犬も殺気立ったところがなく、「これで番犬が務まるのだろうか?」との、若干の疑問も持ちました。それともジキルとハイド氏の様に、バリ島のワンちゃんは、昼間の顔と、夜の顔を2つ持っているのでしょうか?
 バリの人は、午後の3時間程度は昼寝をすると聞きました。昼食を摂ったレストランの事務所の前に居た犬も、人間と同じように昼寝をしていました。バリでは肥満の人が少なく、見掛けた犬も全部痩せていました。勿論、これが一番健康なのかも知れません。
 ところで、インドネシアでは大多数がイスラム教徒であり、断食の時は、水さえ飲む事が許されないと言います。多分、肥満が少ないのはこの断食のせいではないかとも思いました。
 バリ島中、毎朝お供え物が飾られています。このお供え物は、若い椰子の葉に、お花や食べ物を盛った四角い形をしています。地面に置いたものもあれば、少し高い所の台に備えたものもあります。
 現地ガイドさんに案内された市場の中で、このお供え物を売っているのを見掛けました。入れ物や、中身に少しずつアレンジをしてある様でした。このお供えは、神様用としてではなく、小鳥の餌と犬の餌に格好であるとも思えました。しかし、犬たちが食しているところを実際に見た訳ではありません。
 推測に過ぎませんが、バリ島のイワンちゃん達が、飼い主から餌を貰わなくても、お腹を空かせることがない理由の一端だけは、これで分かったような気がしました。

<バリの猫>
 バリの人は犬が大好きであるが、猫は嫌いだと言います。一般に世界共通に、猫派と犬派がいます。これを教えてくれたガイドさんの好みで、猫を嫌いとも思いました。しかし、犬のほうはどこにでもいたに、猫はほとんど見掛けませんでした。
 一行の内の誰かが、「この国は三味線がないので、猫の需要がないのでは?」と言っていた。ほんのからかい程度の質問でしたが、ガイドさんはそれに反論して、「インドネシア人は、本質的に猫が嫌いな民族です」と力説していた。
 一度だけ、猫にお目にかかる機会がありましたが、一見して可愛いといった感じより、野生のイメージが強く残っている毛並みでした。その写真をご覧下さい。
                         
<千円、センエン>
 実り豊かな国であるのに、観光地では実に物売りが多くいます。高級住宅街に住むのはほとんどが中国人、いわゆる華僑の人達であると言います。例えば、自動車や、二輪車の販売などの商売しているのは、皆、華僑の人であると聞きました。因みに、4輪車の8割程度が、2輪車では100%が日本製と言います。バリの大部分の人は貧しいのかも知れません。
 そのせいか、どうかは分かりませんが、観光地ではTシャツ、木彫り、絵葉書等を手にした物売りが実に多くいます。まだ小学生位の女の子が必死に「センエン、センエン」と日本人を目当てに、マンツーマン攻撃を仕掛けてきます。
 「要らない」と断っても、30枚千円(2万ルビア)の絵葉書が1万ルビア、更に6千ルビアに値を下げてきます。これでも買わないと、2枚プラスして32枚6千ルビアといった値段で食い下がります。とにかく必死での商売です。
 タナロットでは、値切って32枚5千ルビアで手を打ちました。しかし、ちょっと可哀相だったので、値切った後で6千ルビアを払いました。
 日本へ帰って絵葉書の枚数を数えましたら27枚でした。私が騙されたと言うより、まだ小学生位の女の子が、正確に日本の数詞を理解していなかったのだと解釈しました。これより少しだけ立派な絵葉書が、空港内では1枚2000ルビアもしました。これに比べれば安い買い物でした。

<野菜、果物> 
 野菜は余り栽培していないようです。その代わり果物だけは実に豊富です。毎度の食事にバナナ、パイナップル、西瓜(ウォーターメロン)、パパイア等が並びます。これにブドウ、蜜柑やリンゴ等が食べ放題の時もあり、その時期になれば、ドリアンやマンゴー等が加わると言います。私が名を知らないほかの果物もまだまだありそうです。
 バナナは小さなモンキーバナナが一番美味しいですが、それより大きいバナナも完熟で美味しい。フライドバナナにして食べる事もできます。
 バリ島は、神々の住む島とも形容されますが、椰子の木やバナナが生い茂った果物の島でもあるようです。

<一夫多妻、王様>
 インドネシアでは一夫多妻が認められており、お金持ちでは4、5人の奥さんを持つのが普通だという。スハルト大統領は6人の奥さんがあり、最近、正妻が亡くなられたと聞きました。
 ただし、公務員は1人の奥さんか持つ事はできないと言います。もし見付かったら、即時に首だそうです。公務員は少し給料が安いものの、お米は2人の子供を含めて、一定量が現物支給され、健康保険等の優遇措置もあると言います。お父さんが公務員であると言う、現地ガイドさんの話しですから、多分本当の事でしょう。
 ところで、インドネシアには沢山の王様が現存しています。共和国ですから、王様は直接には政治に関わらないとされます。しかし、ジョグジャカルタの王様は、副大統領まで務められたと言います。正妻に男の子がいないので、跡継ぎ問題が大変だと聞きました。

<火山、地震、台風> 
 地震は殆どないと聞きました。火山が多くあるのに不思義な事です。途中、バリ島からジャワ島に向かう飛行機からも大きなクレーターを見る事ができました。台風もないと言います。これは、発生して勢力が弱い内にか遭遇しないような地域ですから、何となく理解できます。しかし、地震がないということは不思議なことでした。そうであれば、誠に恵まれた南海の楽園です。

【旅行時期】1996/05/24~1996/05/28
【エリア】バリ島
【テーマ】
【投稿者】旅人のくまさん

家族旅行(ブダペスト、ナポリ、パレルモ)(by 空飛ぶドクターさん)

肥満
2005年(平成17年)12月22日から2006年1月2日まで10泊12日で2年ぶりの海外旅行へ行って来ました。行き先は、ハンガリーのブダペストとイタリアのナポリとシチリア島のパレルモです。平成16年2月にかみさんが突然、白血病で入院になり、平成17年8月に死去するまで、さすがの私も外国へ行けず、色々な意味でストレスが溜まっていました。さすがに配偶者の死というものは精神的にこたえるもので、月日の経つのをじっと我慢しながら、せめて近い将来に楽しみを見出そうとし、私にとっては一番の楽しみの海外旅行に家族全員で行こうと9月頃から考えていました。

平成15年の10月のイタリア学会旅行とその直後のワシントンDCへの学会旅行以来、ちょうど2年以上になります。私にとって、2年も国内にずっといると窒息しそうになります。家族で行くのは、10年以上前、子供らがまだ小さい頃のラスベガスへの学会旅行と4、5年前の韓国旅行以来です。

当然、子供4人全員と遺影を連れて行くつもりでした。でも、受験生の娘が塾の合宿に行きたいというので、受験生でもあり置いていくことにしました。それで、男の子3人と私の男だけの家族旅行になりました。さすがの私も少し心配で不安でしたので、せめて携帯電話を国際ローミングができる3Gとやらに変更して行きました。これがこん
なに役に立つとは夢にも思いませんでしたが。

今回の旅は出発前からハプニングの連続でした。まずは、飼っている3匹の犬です。室内犬の2匹のシュナウザーは予定通り、1匹の両親の飼い主にお願いしました。問題は、外犬のシェルティーです。半分は娘もいるし、餌だけやってもらおうと勝手にあてにしていた隣人が年末は忙しくて不在がちという理由で断られ、急遽近くのペット・ホテルへ預けようとしたら、ワクチンを接種してないとダメと断られそうになりましたが、強引にお願いしました。そして、出発の前日夕方、車で犬を預けに行きました。そうしたら、車から降りる時、結果的に少し無理やり引っ張った形になり、変な格好で犬が着地しました。キャンと泣くのですが、まあたいしたことはないだろうと店に入ると回りが血みどろです。どうも爪が折れて出血しているらしく、お店の女性が手馴れた様子で、圧迫止血を試みてくれましたが、止まりません。ペット・クリニックへ連れて行ってくれることになりました。どうせ、ホテルへ預けるので、彼女が面倒を見てくれましたが、携帯電話で呼ばれ、全身麻酔をかけてきれいに抜爪しないといけないので、飼い主の許可が要るので、来て欲しいと言われ、出発の前慌ただしい中、ペット・クリニックへ行かされました。

夜は、娘も含め、岐阜の大学にいる長男以外の子供3人を連れて外食に行きました。すると、帰りは福岡にしては珍しく、雪が積もり車がスリップしてひやりとしました。翌日は、出発なのに大丈夫かと心配になり、朝早くのタクシーを予約しようと電話すると、翌日の雪の状態次第なので予約は取れないと断られました。仕方がないので、翌朝は早く起きることにして、心配しながらも寝ました。

翌朝は、福岡にしては珍しく雪が積もっています。嫌な予感がします。タクシー会社に電話すると、まだ運転手が誰も営業所に来てないとのことで、もちろん断られました。困って、ダメもととJRの駅に電話してみると、何と電車は動いていると!博多駅まで行ければ、後は地下鉄なので大丈夫です。飛行機が飛ぶかも心配でしたが、何とか飛んでいました。そして、無事に早々と成田空港に着き、中部国際空港からの長男と合流するはずでした。ところが、携帯にメールで、あっちも雪らしく飛ぶかどうかわからないとのこと。しばらくして、やっと機内にいるとのこと。そ
れなら、もう大丈夫だと返信。ところが、しばらくして、ギリギリまで待って結局、フライトはキャンセルとのメール。万事休すです。

元々、今回はチケットを取る時から色々ありました。いつものように、6社くらいにファックスとメールで格安航空券の見積もりをとりました。飛行機マニアの私は、どんな航空会社の組み合わせになるか興味津々でした。すると、予想通り、KLMオランダ航空だの、エアーフランスだの、関空経由だの、中部空港経由だの色々な組み合わせでした。今回は私にしては、価格以上に乗り継ぎ等を優先して、結局成田経由のアリタリア航空主体のチケットを買いました。ただ、長男が福岡からの出発でないことやパスポートも福岡で作り直した関係で預かったままということを旅行会社の人に伝えるのを忘れていて、発券の時に慌ててやり直しました。長男の中部空港から成田までのチケットは、どうも国際線扱いらしく、旅行会社の人もはっきり知らないよ
うでしたが、長男の航空券一式とともに、パスポートも宅急便で岐阜に送ってもらいました。これが結果的に役に立ちました。

長男は成田まで来られず、昼過ぎのミラノ行きの便にはもう間に合いません。念のため成田の日航のグランドホステスに聞くと、冷たく、格安航空券では変更は無理と言われ諦めていました。ところが、我々(私と次男と三男)が搭乗する寸前に福岡の旅行会社の担当者から電話があり、長男が一日遅れの翌日の同じ便に乗れるように手配中でたぶん大丈夫との連絡がありました。幸い、国際ローミングの携帯電話に換えていたので、ブダペストに着いてからも連絡がつくので一安心して出発しました。後で冷静に考えると、10年以上も前に学会でベネズエラに行った時に、帰りのカラカスからマイアミへの便がクーデター騒ぎで空港が閉鎖されキャンセルされた時も、問題なく空港再開後の翌日の便に乗れました。日航は冷たい。でも、マイレージの特典券の関係でいつも利用しています。

機内では、次男が紙に書いた10位の旅行用イタリア語の文章を見せてくれました。電子辞書から選んできたようです。センスのいいことに、以前私が指摘したよく使う、場所を聞く表現「トイレはどこですか?」(Dov'e il bagno?)もありました。早速、スチュワードに「Grazie!」(有難う)と言ったら、「Prego.」(どういたしまして)と言われたと「何か嬉しいやん!」と三男に自慢していました。些細なことですが、私はほほえましく聞いていました。コミュニケーションの楽しさに目覚めてくれれば、外国語に興味を持ってくれると思うからです。

今回のアリタリア航空のミラノ便は一昨年の日航便との共同便で全く同じ便でした。夕方着いたミラノ空港では、乗り換え時間の余裕が余りなかったので、トリノ冬季オリンピックのTシャツ等を買いそびれました。そして夜遅くブダペストの空港へ到着しました。今は便利な時代で、聞いたこともなかったような国の通貨でも現地で、現地の通貨を簡単にキャッシングできるのです。クレジットカードで5万フォリント(1フォリントは約0.6円)ほどキャッシングし、現金を準備しました。手数料に当たる経費も千円程度です。一方、余った1万6千フォリント(約1万円弱)をイタリアのナポリの空港で両替したらたったの50ユーロ(1ユーロは約140円)と約7千円としっかり目減りしていました。本当は弱い通貨の国、つまりハンガリー出国前に両替した方がもう少しは率がいいのですが、時間がなく入国してからになったのです。つまり、いずれにせよキャッシングの方が両替のレートがいいうえに、便利です。ですから、私は海外旅行の際は、2つの財布を持ち、一つにマスターカード(国際的にはCirrusカード)を、もう一つにビザカード(国際的にはPlusカード)を入れ、通貨も2種類入れ、万が
一盗難等の時も、一つだけでもカードが残れば安心と思っています。

タクシーでホテルへ着いたのはほとんど真夜中でした。インターネットで予約した部屋は、運よく4人部屋が取れました。でも、最初の夜は3人だけでした。ついこの間まで、家族といえば6人だったので、3人というとものすごく少なく感じます。ハンガリーは物価が安いのか、4人部屋で9千円と安い部屋でしたが、割と大きな小ぎれいなホテルでした。テレビもあるし。もちろん、シャワーだけですが、今回は温泉めぐりですから、室内のバスルームは不要です。

翌日の朝食は、まあまあでした。ビュッフェ形式で、トマトとキュウリのあっさりしたサラダが新鮮でおいしく、パンにつけるラズベリー・ブルーベリージャムや蜂蜜がおいしかったです。旅行中は整腸作用のあるヨーグルトは必ず食べます。早速、ゲッレールト温泉へ向かいました。今回の旅でブダペストを選んだ理由は中欧には行ったことがなかったのと、温泉が有名らしいと聞いたからです。将来のビジネスのための視察旅行です。日本人にも楽しめる温泉かどうかチェックしておきたかったからです。このゲッレールト温泉はドナウ川をはさんで西側(ブダの丘陵)にあり、豪華なホテルの中にある温泉で伝統的なハンガリー式の温泉のようでした。我々のホテルは東側のペスト地区にあり、早速トラム(路面電車)で自由橋を渡り、ブダ地区へやって来ました。入り口を間違うと付属した温泉病院でした。ヨーロッパでは温泉治療がかなり普及しているようで、国によっては医療保険も使えるそうです。

ドナウ川は著名で大きな川ですが、「美しく青きドナウ」と言う割には、少なくともブダペスト周辺ではきれいな水ではなさそうでした。何本も立派な橋が架かっていて、特にライオンの像のあるくさり橋が一番古く有名だそうで、ブダの丘とドナウ河岸はユネスコの世界遺産に登録されているそうです。

温泉では、薄い布のようなバスタオルを受け取り、地下の脱衣所で着替えましたが、鍵のかけ方が分からず困っていたら、係員がやって来て鍵をかけてくれ番号札をくれました。風呂はまあまあでした。広い浴槽が二つありのんびりはできますが、36℃と38℃と日本人には少しぬる過ぎます。でも、だからこそ湯にのぼせず長時間入浴している
人が多いようでした。私も子供と喋りながらのんびりしていたら、肥満体の老人に静かにと注意されました。アメリカほどではないですが、この国も肥満体が多いです。私の地声が大きいのでうるさかったのでしょう。もちろん、普通に喋るのは構いません。ハンガリー人の印象は生真面目そうで、怖い感じというのが子供らの印象でした。前もって持ってきた水着着用ですが、ここは混浴ではありませんでした。でも、隣のプールは男女共用で反対側に女風呂があるようです。つながっています。もちろん、サウナ室もあり、マッサージ室もあります。残念なのは、日本の健康ランドのように、中で食事できるようにはなってないことです。

次に、同じブダ地区にある王宮の丘へ行きました。少しは観光しようとしましたが、子供たちは余り興味ないようなので、カフェに入りました。ここハンガリーはオーストリアの東にあり、きっとケーキはおいしいだろうと想像していました。たまたま観光地の高級店らしく、値段は高かったですが pancake(本来は英語ではホットケーキの意
味)という英語訳のメニューのクレープに凝ったソースがかかったようなデザートは非常においしかったですが、甘過ぎる分、やや量が多過ぎました。コーヒーもウィンナー・コーヒー風でおいしかったです。外はもう暗く寒かったですが、マーチャーシュ教会だの漁夫の砦だのを見学し、ドナウ川をはさんでペスト側の夜景を楽しみました。夜はダ
ンス付きのレストランへ行きましたが、ベリーダンスもイスタンブールで見たほどは上手でなく、劇も中世風でしたが意味もわからず余り面白くありませんでした。子供らは白けていました。でも、ハンガリー料理は期待してなかった割にはまあまあ美味しかったです。

それから、空港へ長男を迎えに行きました。大学生にもなれば、ミラノ空港での乗り換えぐらいはできるだろうとは思いながらもやや不安でした。でも、無事に空港で合流できホテルへ。やっと、4人全員そろいました。

翌日は、子供らが喜ぶだろうと思い、動物園へ行きました。英語の説明もほとんどないし、名前もわかりませんが、みんな無邪気に喜んでくれました。普段は一人旅が多いので、時に景色の写真を撮る程度の私ですが、今回は4人なので大分写真も撮りました。今回気がついたのは長男がひょうきんで、写真を撮ってやるぞと言うと、いちいちみんなにポーズをとらせるのです。おかげで、今回はいい写真が沢山撮れました。

ブダペストの目的である温泉めぐりに関しては、クリスマスが完全に裏目にでました。クリスマスイブとクリスマスの日は、温泉も休む所が多いのです。少なくとも、伝統的な温泉は休みでした。ここで役に立ったのが携帯電話です。外国で電話をかけるのは結構面倒ですが、今回は国際電話扱いになり少し高いとは言え、携帯電話があるので、ガイドブックでチェックして電話して開いているかどうか前もって確認できました。それで、仕方なく、2日間は高級ホテルに付随した混浴の温泉とプールとサウナとジャグジーが一緒になった、少し値段が高いところで我慢しました。2ヶ所とも悪くはなく、子供らはプールで遊んで喜んではくれましたが、伝統的な温泉を視察したかった私としては残念でした。最後の日に、早起きして市民公園の中にあるセ―チェニ温泉に行くつもりでしたが、よりによってこの日は寝過ごし、余り時間がなくなりました。それで、入り口に子供らを待たせて私だけ裸になり15分間の短時間で「視察」しました。水着だけの裸で寒くて走り回りました。でも、ここは素晴らしい。ここなら異国情緒のある温泉をゆったりと楽しめます。威厳のある建物で四方を囲まれ、巨大な敷地の中に大きな露天風呂が二つ、三つあり、プールもあり、ジャグジーもあり、名物の「風呂チェス」をやっている老人達がいました。ゆっくり、子供達と風呂に入れなかったのが残念です。

ここで、唯一ドイツ語が役に立ちました。ここの伝統的な温泉は入場時に前金を払い、2時間以内だとかなり返金されるのですが、時間を見てたった20分程度の私の時刻の記録を見て、係りのおばさんが不思議そうに尋ねます。英語は通じないので、レストランのメニューにも英語と併記されてる独語が通じるかもと、片言の独語で、時間がないのでとにかく見に来たと言ったら、納得した様子でした。

語学に興味のある私は、たいていの国の言葉は訪問する前には少し勉強するのですが、ハンガリー語(マジャール語)はお手上げでした。少なくとも、英語、独語、仏語、西語、伊語どれにも似ていません。捕らえようがないのです。アルファベットは使うものの、やたらめったら右肩下がりと右肩上がりのアクセント記号が使われています。オスマントルコに支配されていた時代が長いので、トルコ語に似ているのかもしれません。そう言えば、伝統的な温泉風呂は新婚旅行の時にちょっと覗いたことのあるトルコの大理石風呂に似ているような気もしました。オーストリア・ハンガリー帝国の時代があったので、英語以外では独語が一部通じるようです。カフェ文化が発達したのも同じ理由だと思います。

食べ物も同様です。特徴がない。敢えて言えば、ガイドブックに書いていたように、野菜の惣菜としては色とりどりのパプリカ(ちなみに、ハンガリー語らしい)を多用しています。アメリカで何度も食べたことのある Hungarian Goulash はグヤーシュと発音するらしいですが、おいしいですがビーフシチュー(スープ)と大差はないです。パ
プリカをたっぷりと煮込んでいるらしく、トマト味とは少し違います。でも、全体的に意外なほどにおいしかったです。中心街の公園での屋台では、ジャガイモ料理やソーセージもあり、少しはドイツ料理にも似ているのかなと思いました。一般的には、ドイツ料理は余り評判がよくないですが、私はまぁまぁだと思います。イギリス料理は評判
通りですが。寒いせいか、飲み物はホットワイン(赤)が主流のようでした。下戸の私には関係ないので詳細は省略します。

ハンガリー料理ではないですが、偶然ホテルの近くにドネル・ケバブの店を見つけました。ガイドブックには回転焼肉と訳していましたが、羊肉や鶏肉を積んだやつをくるくる回しながらジックリ焼き、縦に削ぎ切ってポケット状のピタ(パン)に入れて食べるやつです。最初に見たのはトルコだったので、店員にトルコ人かと聞くとイラン人らし
く、ケバブはイスラム圏のトルコ、中近東、アフリカ北部に広くあるらしいことを知りました。隣に、目のパッチリしたペルシャ美人がいました。独特の香辛料が効いていて子供たちも美味しいと気に入っていました。

天候に関しては、寒いのを覚悟していましたが、今冬は福岡も寒かったので、許容範囲内でした。さすがに、北国らしく市民公園には屋外のスケートリンクがあり、長男と三男が滑りました。ええかっこしいの臆病な次男は辞退して私と待っていました。若干寒いものの、景色としても素晴らしい所で、待っている間も退屈しませんでした。ここで、
日本語の上手な若い女性に会いましたが、ブダペスト大学で日本語を専攻しているそうで、2週間だけ日本に行ったことがあるそうです。それにしては、かなり流暢な日本語でした。

今回はクリスマスをヨーロッパで過ごせるので、非常に期待していたのですが、完全に裏目にでました。ハンガリー人は非常に真面目な人種のようで、クリスマスのイルミネーションも最近の派手な日本のものよりもはるかに地味でした。日本の正月に神社に行くように、クリスマスイブにみんなで教会へ行くようで、近くのマクドナルドまで休みでした。一番大事な食べ物屋もほとんど休みであせりました。食べ物にこだわる私は、きっと一軒くらいは開いているとタクシーで中心街へ繰り出しました。ほとんどの店は閉まっていましたが、幸い一軒、外人相手と思われる英語のメニューのあるレストランが開いていました。やや高かったけど、中々美味しい店でした。危うく、クリスマスイブにろくな料理にありつけないところでした。

ブダペストは首都ですし大都市なので地下鉄もあります。トラム、市内バス、地下鉄3日間乗り放題のブダペストカードをホテルで勧められ購入しましたが、温泉の割引等もあり、便利でした。一部の地下鉄のエスカレーターはものすごく長く、スピードが速いのにはビックリしました。日本ののんびりしたエスカレーターの2倍の速度です。小さい子供とかは危ないのではないかなどと思うのは、日本人の性分でしょうか?治安も悪くないし、近代的なまぁまぁの街でした。

最後のブダペストのセ―チェニ温泉視察を終え、昼過ぎのアリタリア便で、ナポリへ飛びました(またしてもミラノ経由でした)。いよいよ2年振りの7回目のイタリアです。子供たちにとっては実質初めてです。今回は出発からトラブル続きでしたが、まだまだトラブルは続きます。

ナポリ空港に着くと、曇ってはいますが、ベスビオ火山と今回の目的の一つ、カプリ島が見えます。私にとっては3度目のナポリですが、17年振りです。最初は夏。前回は秋、そして今回は冬です。手荷物受け取りでかばんを待っていましたが、いつまでたっても末っ子の荷物が出てきません。長男と次男のはとっくに出てきています。結局、出
てこず、他の5〜6人と一緒に手荷物紛失係に並びました。さすがイタリア、紛失したのは一機あたり1人や2人じゃないようです。

三男に、かばんの中身で金目のものはなかったかと聞くと、オルソケラトロジー・レンズを入れているとのこと。このハード・コンタクトレンズは日本ではまだ普及していませんが、軽度の近視に有効で、普通と逆で、夜間に装用し、角膜に「くせ」をつけ朝レンズをはずすと、昼間はレンズなしで視力が回復するもので、両方で18万円ほどします。近視進行の抑制効果もあり、子供には特に有効です。

いつものように荷物の少ない私は、貴重品用のハンドバッグ程度で、幸い残りのチケット4人分等は手元にあります。でも、少ない着替えは次男のかばんに入れたものの、しばらく不要な日本円の3万5千円ほどを三男のかばんに入れたのを思い出しました。かばん自体も直前に買ってやったばっかりでした。戻ってくるのを祈るのみです。空港の手荷物紛失係のお姉さんはイタリア人らしく楽観的で、たいていは遅い便か明日の便で届くと呑気な事を言ってくれます。でも信じるしかありません。

仕方なく、手続きをしてアリバスにてナポリ中央駅へ行きました。たった20分ほどで駅に着き、近くに予約してあったホテルへ行きましたが外は雨です。さすがイタリアで、ずいぶん前にインターネットでツィンで2部屋予約してあるのに、2階と3階でかなり離れた部屋しか準備されていません。三男と私が同じ部屋でしたが、さすがにかばんが無くなったのでしょんぼりしていました。

でも、そんなことにめげていてもしょうがないので、早速レストランへ向かいました。迷わずダンテ広場アルバ門近くの「ポルタルバ」へ行きました。ここは、2年前に知り合ったフィレンツェ在住の日本人の女性お薦めの店でもあり、地球の歩き方にも載っていたので絶対に行くと決めていました。お目当ては、ナポリ名物のピザ、それもシンプルでおいしいので有名なマルゲリ―タです。トマトとバジリコとモッツァレッラチーズです。しかも彼女の薦めで普通のモッツァレッラチーズのかわりに水牛の乳から取れる特別のモッツァレッラチーズ(ブッファラ)を頼みました。

美味しい。とにかく、おいしい!モッツァレッラチーズの白い色が目立つピッツァです。パリパリではなく、生地の厚いピッツァですが、丸めて食べないと折れ曲がる柔らかいタイプで、敢えて表現するとモチモチした感じです。香川で本物の讃岐うどんを食べた時と同じ感動です。言葉では表現できません。本物を食べた人にしかわからない味です。美味しさです。しかも、ウェイターのおじさんは愛嬌満点です。ハンガリーを先にして正解でした。イタリアが先立ったら、ハンガリーの食べ物をどう感じたか?ハンガリーがかわいそうです。

スパゲッティは spaghetti al pomodoro で、トマトソース味ですが、ミニトマトも丸ごと入っています。これもシンプルながらすこぶるおいしい。かばんのことなんか忘れてみんな夢中で食べていました。

翌朝、目が覚めると今日も雨。雨が上がる保障もないので、ナポリに来た目的の一つ、カプリ島行きを決行することにしました。バスでべヴェレッロ港へ。どこで降りていいかがわからないのが、バスの難しいところですが、何とかバスの中の電光表示の prossima fermata (next stop) が読めるので、無事に目的地で降りられましたが、港が広く、最初に大きな建物の船着場へ行くと誰もいません。係員を見つけて聞くと、何とアフリカのチュニジア行きの遠距離便の船着場でした。旅行好きの私の胸が騒ぎます。何と!南イタリアはアフリカにも近いのです。スペインとモロッコがジブラルタル海峡をはさんで近いのはよく知っていましたが、イタリアがアフリカに近いという認識はありませんでした。うかつでした。

子供に指摘されたのですが、コンビニはイタリアにはほとんどなさそうでした。ファーストフードの店も余りなさそうですし、自動販売機もほとんど見かけませんでした。でも、ずっと雨が降っている中、駅やこの港の近くで傘(ombrello)を売っている中国人や東洋人を沢山見かけました。1本5ユーロ(約700円)ですが、見た目はカラフルで安いと思いましたが、結局使い捨てのボロでした。変なところをけちるのが私の悪い癖で、4人で2本だけ傘を買いました。実用的な私は、スキー場で使えるダウンジャケットでフードを出せば少々の雨は気になりません。残りの子供ら3人で2本の傘で何とかさせました。

隣と言っても、歩くと少し距離のある船着場からカプリ島行きの高速船に乗りました。40分ほどでした。でも、次男は少し船酔いしていたので、休憩のために軽食の店へ立ち寄りました。ここでも、pizza margherita を頼みましたが、こんな店でもおいしかったです。insalata di Caprese(カプリ風サラダ)は名前に興味があり頼んでみましたが、真っ赤なトマトと真っ白なモッツァレッラチーズの輪切りを交互に並べてあり見た目もきれいでおいしかったです。

さぁ、いよいよお目当ての Grotta azzurra(青の洞窟)です。普通は、ここマリーナ・グランデからモーターボートで入り口まで行き、手漕ぎボートに乗り換えるのですが、次男が船酔いした後でもあり、タクシーで陸路から行くことにしました。小さな島ですが、山に登っていく感じで洞窟の近くの岩場に行くまでに40分程かかりました。幸い、タクシーの運ちゃんが英語ができ、色々なことが聞け有意義でした。私が思っていたように、イタリア語とスペイン語はかなり近く、イタリアの学校ではわざわざスペイン語は教えないと言っていました。タクシーが青の洞窟の近くの岩場へ着き、岩場の階段を下りていっても手漕ぎボートが見当たりません。恐れていた通り、雨はともかく、風が強く波が高く、こんな日は入り口の狭い洞窟へは入れないのです。残念!岩場から入り口は覗くことができましたが、波が相当高く、これじゃ危ないなぁと諦めがつきました。

タクシーの運ちゃんから今日はダメかもしれないと聞いていたせいもあり、我ながら不思議なくらい今回は悔しさがありませんでした。そうか、また来ればいいやという感じです。運ちゃんに聞いたところでは、人が多過ぎる夏休みを少しはずした頃がベストだそうです。強い太陽光線が透き通った水を通して、洞窟内を不思議な青い光で満たすそうで、やはり冬はお薦めではなさそうです。15年以上も前に、ペルーのクスコに行った時は、高山病でマチュピチュに行けなかったのが未だに悔しい私ですが、最近とみにイタリアの虜になっている私は、2年以内にまた来ようと誓ったのでした。

結局、タクシーを借り切った形になり、島の中央にあるアナカプリのヴィットリア広場の駐車場で待ってもらい、目の前の名も知らぬトラットリアに入り昼食を。結論から言うと、今回の美味しさ満載の南イタリア旅行でも文句なく最高の店でした。ピザももちろん美味しかったけど、ここのトマト・スパゲッティが最高でした。光沢のある麺。おいしいミニトマト。トマトにうるさい私にも満足できる最高の味でした。この店では、日本人の団体客が一緒でしたが、一般的に安いけどろくなレストランで食べられないツアー客でさえ、この店にいる日本人はみんな幸せそうな顔をしていました。満足感が満ち溢れています。ここでも、ウェイターが明るく雰囲気もいいです。やはり、南イタリアです。海外旅行で一番人気のあるのが遠いイタリアというのも当然の気がします。

タクシーで最後にマリーナ・ピッコラ(マリーナ・グランデの反対側で名前通り小さい湾)を見物してからソレントへ行くために船着場のマリーナ・グランデへ戻りました。青の洞窟の入り口の海といい、マリーナ・ピッコラといい「碧さ」が印象的でした。冬の雨の日なのに、この空色というか薄い青色と言うか、鮮やかでした。太陽のまぶしい夏だったらきっともっと鮮やかだろうと想像できます。イタリアのサッカー代表を「アズーリ(青の軍団)」と呼ぶのはきっとこのことだろうと一人で勝手に納得しました。イタリアの国旗にも青色はないし、何故ユニフォームが青色なのか今まで不思議に思っていました。ユニフォームで言えば、アルゼンチンの空色と白色のストライプ。ブラジルの黄色と緑などは国旗から由来していると思われます
が、イタリアは国旗と関係ないから不思議でした。

ナポリ行きの船でなく、わざと遠回りのソレント行きの船に乗ったのは途中のポンペイの遺跡を子供達に見せるためでしたが、あいにくの雨で背後にあるベスビオ火山も見えないくらいで、結局、環ベスビオ鉄道に乗ってナポリへ帰って来ました。ソレントは「帰れソレント」の民謡で有名ですが、長男は高校時代にマニアックな厳しい音楽の先生にこの歌をイタリア語で全部丸暗記させられたそうで、確かに全部歌えました。しかもビックリしたことに、ガイドブックに書いてある通り、ソレントなまりで「スッリィエント」とちゃんと発音していました。我が子ながら大したものです。

今回は時間的にソレントは最初から通過だけのつもりでしたが、いい所です。断崖の海岸線を見下ろす町で、世界遺産のアマルフィ海岸の始まりです。ナポリ湾の裏側に海岸が続きます。女性には興味があると思われるカメオ(浮き彫り)が有名で、かみさんと義父と2歳の長男とで秋に来た時には、カメオの店に行ったのをよく覚えています。その時の海岸沿いのトラットリアでのマカロニのおいしかったことも未だに忘れられません。その前の独身時代に夏に来た時には、カプリ島を見ながら泳いだ記憶もあります。ちょうど、故郷の国見で姫島を見ながらいつも泳いでいたように。その時、ソレントのユースホステルの大部屋に泊まりましたが、夜門限があるので、世界中の若者と入り口の塀をよじ登った楽しい思い出があります。私も若かった。

ポンペイに寄らなかった分、午後4時頃にはナポリのホテルに着きました。すると、フロントの女性から空港から電話があり、荷物が見つかったとの嬉しい知らせです。でも、彼女が言うには、待っていると荷物が届くのは2、3日かかるから自分で取りに行ったほうがいいということでした。それで私一人でバスで近いし、空港の手荷物紛失係に再度出向きました。ところが、この辺がイタリアのいい加減さで、「荷物が見つかった」はずなのに、この部屋で自分のかばんを捜せというのです。でも、見当たりません。不安になると、昨日と同じ担当の女性は涼しい顔で、じゃーもう一つの部屋かもしれないとレントゲン探知機の部屋を逆行して、手荷物受け取りのレーンのある場所近くの部屋の鍵を開けてくれ、捜すように言われました。ようやく、三男のかばんらしきのを見つけましたが、チェックイン時のかばんに巻いた紙はアリタリアの緑色のはずなのに、赤い紙が巻いています。でも、幸いかばんの鍵を持っているので、開けてみるとやはり三男のかばんでした。この紙のせいで、どっか違う空港へ行ったのでしょう。それにしても、何を根拠に荷物が見つかったと連絡してきたのでしょう?

3日目と移動日の4日目は、ぶらぶらと町を歩きました。「See Naples and die!(ナポリを見て死ね!)」と言いますが、正直3回目でもそんなにきれいな町という印象はありません。きっと、海からの夜景がきれいなんだろうとは想像できますが、今回は冬ですからなおのことクルージングしようとは思いませんでした。むしろ、旧市街はゴミゴミして狭く、石畳で車なんかはガタガタします。でも、歌にもあるサンタルチアの港は広々として、しゃれたレストランがあります。ウェイター(そう言えば、ウェートレスは少ない印象です)はどこも愛嬌一杯で、本当か嘘か、チップは勘定には入っているが、お店に入るだけで自分たちには入らないと、別にチップを要求します。真偽のほどは定かでないですが、けちな私も愛嬌のある彼らの要求には
逆らえず、チップを渡しました。

義父と一緒の時は秋でしたが、「飯屋」という雰囲気の庶民的なトラットリアにはテレビが置いてありました。当時、私の大好きなアルゼンチンのマラドーナがセリエAのナポリのチームで活躍していました。まだ当時、日本ではJリーグも始まっていませんでしたが、私は何故かその当時からサッカーが好きでマラドーナのファンでした。日本の飯屋で野球の巨人戦を見るような感覚で、マラドーナの試合を見るのは不思議な感覚でした。確か、その当時はナポリはマラドーナもいて強豪チームでしたが、今ではセリエB以下のようです。その時泊まったアメリカのモーテルのような安ホテルからは、夜遅くまで子供たちのストリートサッカーの様子が窺えました。ああ、イタリアだなぁと思ったものです。

眺めの良さそうな高台を目指して、丘の上にある国立カポディモンテ美術館へ行きました。途中でわざわざケーブルカーに乗りましたが、完全に名前負けでした。サンフランシスコのような眺めの良さを期待したのですが、ナポリのケーブルカーは斜面を走るだけで、中はトンネルの中で真っ暗、地下鉄と変わりはありませんでした。この美術館はやはりイスラムの影響らしく、パテオ(中庭)があり、期待通り、ナポリ湾を見渡せる外庭もありました。

今回の旅は、子供連れでもあり、私にしては珍しくタクシーをずいぶん使いましたが、アメリカと同じでほとんど流しはなく、有名な観光地に待機しているのみで、不便なことに気づきました。この美術館の帰りもどうしようかと困っていると、バスが見つかりました。すぐには出発しそうにもないけど、ちゃんとどこかまで行きそうでした。でも、切符を買うタバコ屋も見つかりません。すると、人のよさそうなおばちゃんが、そこのトラットリアで売っているよと教えてくれました。

バスに戻って、切符の刻印をしようとしたら、さっきのおせっかいな、でも人のいいおばちゃんが止めろと言っているみたいです。どうも、90分間有効な切符なので、バスが動き出す寸前まで刻印するなと教えてくれているようです。愛すべきおせっかいなおばちゃんです。そして、そのおばちゃんは日本語の文章を知っていると言うのです。どうせ、「さよなら」程度だろうと思っていたら、「オトコトオンナワカブキオミニイッタ。」と言うのです。「男と女は歌舞伎を見に行った。」と理解するまでちょっとかかりました。子供達と爆笑です。こんな日本語、一体誰が教えたのでしょう?

そう言えば、ブダペストのドネル・ケバブの店でも、「マエギリ」と言われて、「前蹴り」と理解できるまで少し時間がかかりました。その後は、「ヨコギリ」が「横蹴り」とはすぐわかりましたが。外国では、日本人が思っている以上に空手等の武道が盛んですし、この手の日本語の単語は国際語になっています。ただ、発音が少し変わりますが。

駅の近くのホテルはやはり便利でした。バス停も地下鉄の駅も環ベスビオ鉄道の駅も全て近くでした。絵葉書を出そうとして、駅の近くの郵便局へ行きました。でも、何故か切手は駅の入り口のタバコ屋で売っているというのです。それで、変だなと思いつつ入り口のタバコ屋へ行くと、今度は駅の構内のタバコ屋で切手を売っていると言われるのです。で、狐につつまれた心境で駅の構内のタバコ屋へ行くとここでは切手は売ってないと言われるのです。結局、たらい回しにされ、絵葉書一つ日本に出すこともできませんでした。急がないのでパレルモに行ってからにしようと思いましたが、そもそも何故郵便局で切手も売ってくれなかったのか不明です。旅行にはいいですが、イタリアに住むのは大変かもしれません。

29日の夕方、パレルモへ移動するためナポリ空港に行くため、ホテルの近くのバス停でバスを待っていました。よりによって、4日間ともナポリはずっと雨でした。あるタクシーがしつこく声を掛けてきます。ボッタクリのタクシーも多いと聞いていたので、向こうから声をかけてくるようなタクシーを相手にする気は全くありませんでしたが、どうもバス代が一人3ユーロで、4人だと12ユーロでタクシー代と変わらないと言っているようです。まんざら詐欺でもなさそうです。意を決して、そのタクシーに乗りましたが、本当にたったの12ユーロでした。

夜の便で、ナポリからパレルモへ。この路線だけは、聞いたこともないアルプス・イーグルという航空会社で、単純な私はそれだけで嬉しく機体の写真を撮りました。ここの空港は市街地から大分遠く、プルマン(バス)で45分程度かかりました。パレルモのホテルは、私にしては珍しく4つ星で、ツインが2部屋で4万円以上とブダペストのホテルの4倍以上の値段です。夜も遅く、選ぶ余裕もなくホテルのレストランで食事をしました。それも遅いので、メニューもステーキだけで付け合せにポテト料理とまるでアメリカのメニューのようでしたが、非常においしかったです。パスタやピザがなかったので珍しくデザートも頼みました。一般的に、高級ホテルのレストランは値段の割にはあまりおいしくないというのが私の先入観ですが、ここは違っていました。さすが、イタリアです。

翌日はのんびり起きて、さぁどこに行こうかという感じです。ナポリと違って、マフィアの出身地として有名なシチリア島へ来て見たかっただけで、何のあてもありません。南イタリアで貧しく、少しは治安も悪いのかなと思ったのも、少し高いホテルを取った理由です。

すると、世界史の得意だった長男がカプチン会修道院の地下墓地、カタコンベへ行きたいと言います。もちろん、反対する理由もありません。私は色々なところへ行きましたが、かなり印象的な場所でした。何と8千体ものミイラの場所なのです。横向きに安置しているのもありますが、むしろ立ったまま安置しているミイラが多いのです。しかも、よく見ると乾燥の具合が様々で、解剖の実習のようにほとんど骨だけのもあれば、かなり皮膚や髪の毛の保存されているのもあります。服も着たままです。金持ちの幼い娘さんの遺体らしく有名なロザリアちゃんのはきれいに祭られ、ろう人形のようでした。地下室でにおいも独特ですし、美術館では写真も撮れるこの国でも写真撮影禁止と書いています。帽子の好きな長男と次男は、帽子を脱ぐように係員に注意されました。もちろん、静かな場所です。

さすがに重苦しい気持ちで外に出ると、地上の入り口がありここは無料で勝手に入れるようです。私の勘があたりました。一般のお墓です。アルゼンチンのブエノスアイレスで元大統領の奥さんとして有名なエビータのお墓を見に行ったのを思い出しました。当然ながら似ています。アルゼンチンの白人は主にスペイン人とイタリア人だからです。金持ちの墓は小さな家のように立派です。ただビックリしたのは、お墓に故人の写真が埋め込んであることです。クリスマスの後で年末のせいか、どのお墓も豪華に花がカラフルに飾ってあります。やはり家族の絆の強いことで有名なシチリア島だから特別なのでしょうか?かみさんの墓を買ったばかりの私には非常に感慨深いものがありました。

携帯電話のことを書きましたが、私のはボーダフォンで日本ではマイナーですが、ブダペスト、ナポリ、パレルモどこに行っても、日本のNTTドコモのように看板が目立ちます。イギリスが本社の会社だけあってヨーロッパでは主流のようで、国際ローミングには丁度良かったようで、どこでも電波の受信状態は良好でした。

パレルモでは型の如く、教会などの歴史的建物を見学して回りました。ある広場で馬車を見つけました。子供連れでもあるし乗ろうと気楽に思いましたが、「チェント」と言われました。最初ピンときませんでしたが、何と100ユーロ(約1万4千円)もするようです。幾らなんでも高過ぎると思い、頑張って何とか50ユーロまで値切りました。中々快適でした。貧しいというイメージとは裏腹に、ここパレルモはむしろイタリアにしては石畳も少なく、普通に舗装されていました。そのせいか、むしろモダンな感じがしました。

ある時、地下のトイレに行くと、有料でした。小銭で入れるのでさすがに気にはなりませんでしたが、むしろエレベーターのようにしっかりしたドアが気になりました。何故なら、以前にシンガポールの高級マンションのエレベーターに1時間以上も閉じ込められ怖い思いをしたことがあるからです。ここはイタリア。食べ物には信頼のあるものの、少し不安でした。それでも、勇気を出して中に入り、用を足してボタンを押すと無事にドアがスムーズに開きました。安堵して外に出ようとすると、何とちゃっかりタダで入れるようにイタリア人が飛び込んできました。

馬車を降りてお土産屋に入ると、お店の人にお前は「professore か?」と聞かれました。たぶん、教授という意味ではなく学校の先生かという意味だろうと思います。確かに、家族とは言え、男の子3人とオッサン一人。家族というよりは、生徒を連れた引率の先生に見えたのでしょう。一度くらいはパソコンのメールをチェックしようとインターネットカフェを探し入りました。でも、日本語が読めず全部文字化けしているのにビックリしました。よく考えると当たり前のことですが、2年前に入ったフィレンツェのインターネットカフェがたまたま日本語対応と書いて
あり、日本語が書けないものの読めたからでした。

ナポリでは郵便局に行っても何故か出せない絵葉書でしたが、ここパレルモでは無事に引き受けてもらえました。でも、仕事ぶりはとろいもので、特殊な業務でもあるかのように10分以上もかかりました。こっちは暇な旅行中だからいいようなものの、日常だったらさすがに苛立つでしょう。

少ししゃれたレストランで、いつものようにまずトマト・スパゲッティを3皿程度注文すると、ここでは中年のウェイターが4人なので4皿に取り分けてくれました。最初に、末っ子の皿を重々しく運んできました。ところが、「piccolo(小さい)」と言って持ってきた皿には一口分のスパゲッティしか入っていません。からかわれているのです。みんなで大爆笑しました。もちろん、後でちゃんとやり直して4等分してくれましたが。ここでは、少し奮発してロブスターを一人一匹ずつ注文しました。ところが、またしてもウェイターは「piccolo(小さい)」と言いながら、末っ子の皿にロブスターの足一本だけ入れて持ってきました。イタリアでも、こんなに愉快なレストランは経験ありません。やはり、南イタリアは陽気なのでしょう。今回の旅でイタリアはもちろん、特に南イタリアの大ファンになりました。

最後の夜は大晦日だったので、カウントダウンを期待して9時過ぎの遅いディナーを中心街のレストランに予約しました。やはり特別な日らしくて、メニューは大晦日スペシャルらしく、かなり限られていて、それも一皿20ユーロ均一に近いもので、いつものワンパターンのトマト・スパゲッティとマルゲリータピザはメニューにもありませんでした。それで、肉料理を中心に注文しましたが、どっちみち非常においしかったです。

食事が終わると、計算どおり11時過ぎです。人ごみ目指して歩いて行きました。途中から、爆竹の音がバンバンします。音だけならいいのですが、悪ガキどもが爆竹を近くに投げてくるので怖くてたまりません。時々、不良品の爆竹らしく爆弾のようなすごい音がします。長男は特にこういう音に弱く、イライラしていましたが、帰ろうとまでは言わないので、何とか新年を迎えるまで外にいました。爆竹でけがをしたのかどうかはわかりませんが、救急車も出動していました。公園ではずっと野外コンサートをやっています。カウントダウンで新年を迎えると何が起こるか楽しみにしていると、ポリテアーマ劇場の建物を背景に花火が始まりました。これがイタリアの大晦日の行事なのだろうかなあと思いつつ花火を見ながら私はある決心をしました。

今回のイタリア旅行は南のせいか、ドネル・ケバブの店が目立ちましたし、建物もやはりイスラムの影響をあちこちで感じました。北イタリアでは余り見かけない黒人も目立ちました。ただ、南イタリアとは言え、冬は寒いというのは想定外でした。今回の旅の教訓は、ヨーロッパは南イタリアでも冬は寒く、ブラブラ外を歩き回る貧乏旅行には少し厳しいということです。冬のヨーロッパ行きの格安航空券が非常に安いのが改めて納得できました。

日本への帰りはパレルモから再びミラノ経由です。トリノ冬季オリンピックでミラノとトリノが近く、冬季オリンピックが開催できるくらいでアルプスが近いことに気がついたので、ひょっとしたらと思い、離陸時は空席の窓側へ移動しました。大正解で、ミラノを飛び立つと眼下にはアルプスの山々が綺麗に見えました。

こうして、ハンガリー、イタリア3都市の旅は終わったわけですが、ますますイタリアにはまった私は、いよいよ本気でイタリア語を勉強しようと決心しました。中学1年生で中学の英文法を全てマスターした私としては、本気をだせばそんなに難しくないと思います。似ているスペイン語も少しかじっていますし。英語の Be 動詞の活用のように
人称によって全て動詞が変化するし大変ではありますが。語学習得のコツはわかっているので、安い文法のテキスト(安いのに何と CD 付き)と辞書だけ買いました。15歳に戻ったようで楽しいです。但し、記憶力は落ちていますが。


長い紀行文を読んでいただき有難うございました。旅行中の健康管理や病気の予防「旅行医学」の私のウェブサイトも参考にして下さい。 
  • http://www.kanoya-travelmedica.com


  • 旅行好きを仕事にするため、「空飛ぶドクター」を目指しています。そんな私が「海外旅行時の健康管理」に関する本を4月21日から出しました。悠飛社(03-5327-6052)坂本泰樹。「機内にお医者さんはいませんか?」空飛ぶドクターの海外旅行と健康管理。


    【旅行時期】2005/12/~2006/01/
    【エリア】ブダペスト
    【テーマ】家族・子連れ
    【投稿者】空飛ぶドクター

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